読書感想文マニュアル
2016-09-02


小学生の読書感想文が夏休みの宿題の定番となっており、昨今はそのマニュアルまで登場し、いろいろと賛否両論があるようだ。

 ズルを教えるようなものでけしからんという反対論から、書き方そのものがわからないのだから、手引として最適だという賛成論まで。どちらも一理あるが、どちらも大切な視点が欠けているように思える。

 第一に、本を読んでどんな感想を持つかは、読んだ人間の精神活動そのものであり、思想・信条と直結しているものだという点。したがってその感想が客観的にどのような評価をくだされるものであろうとも、他人がどうのこうのと口を挟むべきものでは決してないということだ。個人がどんな本を読んで、どんな感想を持とうと、それに他人が口出しする権利など、絶対にない。読書感想文を宿題として課し、強制力を持って読ませろという事自体が、各自の思想・信条を強制的に発表させる暴力的な行為である。その意味で、読書感想文を自発的に発表するのならともかく、強制的に提出させる事自体が、すでに他人の心を土足で踏みにじる行為である。

 第二に、文章は情報を伝達するためのツールであり、情報の最小限の構成要素は、主語と述語である。つまり、「誰が、どうした。」が書けていれば最低限の体裁は整う。よく言われる5W1Hの6要素は、あくまで報道現場でのノウハウであり、現実的にこの6要素が全て揃わないと情報が成立しないなどということはない。むしろ6要素が揃わない文章が多くて、5W1Hは、現実的には例外だらけである。したがって、感想文なるものの必要十分条件は、「この本は、おもしろかった。」「この本は、つまらなかった。」となる。これで十分感想文として成立しているわけだ。どこぞのなんとか言うコンクールのように、2000字程度などという分量は、情報という観点からすれば蛇足のかたまりである。そんな蛇足のかたまりを低学年や低学力状態の子どもに書けというのが土台無理無体な話だ。マニュアルでもない限り、そんなよけいなことを長々と書くことができる人間はいない。

 第三に、長々とした文章で感想を述べなければならないという縛りは、長々とした文章を書く能力を養うという目的のためにあると考えられる。要は「感想文」という情報ではなく、長文を作成することができる構成力の涵養が主眼だ。その意味で「マニュアル」は有効なものだが、少なくとも「読書感想文」でなければならない根拠など、どこにもない。時事問題を扱って書かせたほうがよっぽど理にかなう。また、文章を書く以前に、「この本は面白かった。」という初発感想に対して、「どんなところが?」「どうして?」という問いを会話ベースで行う事のほうが重要だ。蛇足の塊に存在の必然性をもたせるとすれば、自分の感想を客観視し、その感想を生み出した理由を明確化する以外にない。文章を書くより、感想をインフォーマルに語り、対話を通じて深める作業こそが最優先だ。「どうして」という問いを持つことが重要で、文字に書くことはもちろん、字数が多かろうが少なかろうが、そんなことは後回し。2000字を埋めるのはそれから後の話である。読書感想文をいきなり書かせるぐらいなら、読書感想フリートークに取り組むべきだ。


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