2021-01-06
「禁じられた遊び」を観る。
言わずとしれた名作映画だが、なかなか縁がなかった一本。
話の中身も知っているし、テーマ音楽はおなじみだが、きちんと通して観たのは今回が初めてだ。
5歳の少女ポーレットはパリからドイツ軍侵攻に追われて避難の最中、両親を機銃掃射で殺されてしまう。愛犬が逃げ出したのを追いかけたポーレットを両親が追いかけた末の出来事だった。
愛犬も死んでしまったが、どうやらポーレットは「死」を実感として理解できていないようだ。愛犬の死体を川に投げ捨てられたポーレットはその死体を拾い、避難民からはぐれてしまう。
そこに通りかかったのは貧しい農家の子供、ミシェルだった。ミシェルはポーレットを家に連れ帰り、ミシェルの家族はポーレットを受け入れる。
しかしどういうわけか、ポーレットは宗教的な生活習慣もほとんどなかったようで、葬儀や埋葬といったものと宗教的タブーとが理解てきていない。ただ敏感に反応するのは「殺す」ことに対する恐怖だけ。これが後の事件の引き金となっていく。
一言で言ってしまえば、まだ分別も物心も満足についていない幼児の近視眼的、刹那的な行動と「大人はわかってくれない」といった少年の不満や怒りがベースにある話といえるが、宗教的な生活学習が欠落した、おそらく中流以上と思われる都市生活者の子供というポーレットの設定には、宗教生活から切り離された無邪気な存在という逆説的なありようが見えるような気がする。また、貧しい農家の生活に根深く存在する宗教生活の中で、貧困や子供に対する過酷な扱い、無理解といった問題も透けて見える。
そしてどちらの世界にも悲劇をもたらすのは、戦争だ。
幼女ポーレットの無邪気さは、狂気の世界となった戦時下では、彼女の存在を危うくさせるものにしかならない。さらに頑迷な宗教は無邪気さを受容する寛容さを失っている。宗教生活を知らないポーレットは無邪気な存在であり、それに感化されたミシェルは宗教生活から放逐されてしまう。戦時下で同志であったミシェルと引き離され、ミシェルを呼びながら群衆のなかを一人消えていくポーレットの未来には明るさを感じない。
ジョン・レノンの「イマジン」は、天国も宗教も争いもない世界の平和を歌った。その世界観をルネ・クレマンはすでに1940年にこの作品で発表しているのかもしれない。
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