2021-06-07
どこかのお偉い「金」の専門家が、「大衆は間違っている」「大衆はしょっちゅう間違う」と抜かしたらしい。
そう、私はかなり怒っている。
誰が、どんな基準で、どんなタイムスパンで大衆を「間違う」と判断できるのだろうか。歴史認識でさえコロコロ変わる世の中で、大衆に「間違い」と指弾するのはそれこそ至難の業だ。
一番簡単に「間違い」と断定する方法は一つ。自分の気に入らない意見は「間違い」、自分が気に入った意見は「正しい」とすることだ。民主主義などどこ吹く風、多様性などたわごとだというスタンスなら、大衆に「間違い」と大声で、「忖度」することなく言えるだろう。
もちろん、自分に都合のいいような大衆になるように、あらかじめ大衆を隷属させたり、知力を低下させたりするといった工作をしているのなら、自分の設計通りに動かない大衆を「間違い」といえるだろうが、それは大衆が間違っているのではない。自分の「設計が間違い」だっただけだ。
「大衆は間違っている」などという物言いは「絶対専制君主」のスタンス以外から生まれるとは考えにくい。世間は自分の考えにひれ伏すべきだ、自分は絶対正しいのだからという考え方が底辺になければ、そんな大胆なことを「大衆に向けて」言えるとは思えない。
権力性認知症が進行しているのか、もともとそういう勘違い人間だったのか。大衆がそっぽを向いたということを、「自分が間違っているのではないか」と考えるほどの賢さを失っているか、「自分が賢い」ありきで小理屈を作り上げたか。自己弁護の小理屈をでっち上げる程度の小賢しさは当然あるだろう。偉い人なのだから。
弾圧されるかな?
大丈夫だろう。「間違っている大衆」の一人がほざいたたわごとなのだから。
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