子供の居場所が見えない人々
2023-10-19


 子供の居場所がない。妙な条例をぶち上げて総スカンを食らう議員が現れたことで、逆にそのことが浮き彫りになっている。

 学童保育の職員が低賃金で集まらず、待機児童ゼロという「仮想現実」をでっち上げるために芋洗い状態の学童保育が横行する。運営側が見ているのは現実ではなく、ゲームのクリア条件ということだ。ゲーム中毒などとどの口が言うことやら。戦争下における人道支援を述べる某国の指導者と同じで、へそが茶を沸かす。

 どこかの首長は不登校は親の責任だと言い放ち、義務教育にいやいや通う子供を努力して後押しするのが保護者だと言っている。よほど義務教育がお嫌いだったのだろう。だから新しい不登校の現実について「学習」し、知識を「更新」する能力も身につけていらっしゃらないらしい。義務教育が悪いのか、それともご本人の学習に対する怠慢なのか。前職が公安系だということは、ますます恐ろしい。某民放ドラマがカリカチュアライズした(有り体に言えば皮肉っておちょくった)公安系ドタバタドラマが生まれるのも宜なるかな。真面目に義務教育を全うして期待される学力を習得した多くの公安系の方々の憤懣はいかばかりのものか。

 世界的にも同様だが、大人の社会というものに子供の居場所はない。その問題点に100年以上も前に気づいた海外諸国は多くの時間を費やして「子供の権利」を研究してきた(そしていまも研究している)。それでも子供は世界中のいたる所で搾取されている。経済的に、政治的に。ミニマムな権力欲と名誉欲で搾取される子どもたちは最近のこの国では「教育虐待」という文脈で表現されている。海外ではどの程度進んでいるかといえば、この国よりは幾分マシだと思われるアメリカで制作された1979年の「クレイマー・クレイマー(原題「ramer vs. Kramer」は法廷闘争を明確に打ち出しているが、邦題の「・」の方がより問題点を広く考えやすい)という映画を見ればわかる通り、社会的に称賛される仕事人間は家庭人としては失格、そして子供は明らかに仕事人間の足かせとして描かれている(もちろんそれが問題だという視点だが)。あれから40年経過したが、あの映画が過去の意味不明な作品ではなく、今でも名作と言われていることを考えれば、簡単に解決できる問題とは言えないだろう。


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